思い込まされているかも

今日の講座で「あなたの苦手だったことは?」と聞いた。

複数の方が「家事全般」とか「料理」との答え。

私も料理が好きではないし自分がお腹空かないのに誰かのためにごはんを作るのは苦痛だった。

でも、とふと思う。

私を含め、この方達のレベルのことを男性が出来ていたら「料理は得意」と答えるのではないだろうか。

なぜ私たちは料理が苦手と言わなければならないんたろう。

毎日毎日のこの作業、嫌いだとほんとに苦痛だ。

私はたまに誰かが家に来てごはんをふるまったり子どもたちが帰宅してごはんを作るのは嫌いじゃないのに。

わいわいと楽しい作業なのに。

毎日毎日食べさせなくちゃいけないことの重さにうんざりする。

作りたい時に楽しみながら作るなら私はきっと料理は好きです!と答えていたのかもしれないなと思う。

子育て支援の講座をしながら、あー私たちは女性なのだと感じる。

苦手だと思い込まされているのだよ。

自分がやらなきゃいけないこととの思いと母親なら出来て当然という刷り込み。そして、手作りとか母の味とか、他の人はもっと上手なはずだから自分が出来るなんて思えないという思い。

私の母は自称料理上手だった。他の母と比較して上手だったのかどうかはわからない。この母の味が好き!てのも実はない。母の作らない物を私は作ったし、さほど参考にした物はない。

母からは女性はこうしないと母はこうしないとのメッセージが強く私は社会全体から失格の印を押されたような気になっていた。

嫌いにさせられたなあ、出来ていないと思い込まされたんだなあと思う。

刷り込みは恐ろしい。

今日は誰が作る?お父さん?お母さん?があり、これ好きだから作ってみるわと思えたら料理好き!と言えたのかもしれない。

前に座る人を見ながら「思い込まされたんだよ」「きっと出来てるんだよ」とそう思った。

そして男性に子育て時期何が大変でしたか?出来なかったと思っていたのは何ですか?と聞いてみたい。

そこにまた見えることがあるのだと思う。

刷り込みは怖い。

母親は愛情深いはず、愛情深くなくてはいけない。子育ては楽しいはず、楽しまなくてはいけない。

やかましい!と言えたら楽なのにね。

そんなことを除いて自分だけの気持ちで素直に向き合ったら意外と楽なのかもしれないなあ。