助けられたか

ある本に「今なら(自死した)家族を助けられる」という文章があった。
そんなこと断言するんだ、と恐ろしい。
助けたかった、は事実。切なる願い。
出来得るなら時間を戻したい。
でも、もう一度あの時間があるなら必ず助けられたと言う人を私は怖い。
本当のことはその人しかわからない。なのにその人のことが全部わかって助けることができると思うことの怖さ。
助けたかった、であって、もう一度あの時に戻れるなら何としても死なさないという思いは理解する。
でも、断言は恐ろしい。
その断言が、誰かを追い詰める刃になる。
私には傲慢に思える。
私は言えない。
亡くなったその人にはいろんな立場の遺族がいる。
その一人の立場の遺族の人のその言葉は誰かを責めてしまうことにもなり兼ねない。
亡くなろうとする人を助けられなかった私は、亡くなろうとする人を助けられなかった人を見ている私は遺族が何もしなかったなんて思えない。予期した人は必死で守ろうとしていた。
なんだかなあ、後味悪い感じがしたな。

佐藤まどか フェイスブックより