【宝塚ボーガン事件に思う】

【宝塚ボーガン事件に思う】

私の住む県で起きた「は?これは日本で起きた事件なのか?」と一瞬思うような衝撃的な殺人事件。
家族トラブルが原因とされてますが、同居する兄弟が特に不仲で、ボーガンの矢は弟の首にだけ2本突き刺されていたとか。
胸が痛くなります。

私自身も不仲な家庭できょうだい仲も悪かったため、こんなニュースを目の当たりにするたびどこか他人事と割り切れない自分がいて、そしてそんな自分をまたちょっと惨めだと感じてしまう、複雑な心境に駆られます。

うちは365日ずっと喧嘩していた訳でもなく、冗談を言って笑い転げた日もちゃんとあるんだからと、子供時代や思春期の頃は見ないようにしていたんだけれど。
それでも母の精神疾患の発症や自死をきっかけに、両親の関係性や自分の家庭環境の闇に気がついてしまい、色んな経緯を経てリヴとの関わりに辿り着きました。
その後、育ちの中で感じてきた本音の思いを見つめ直す作業を始めつつ、さらに色々な事があり、色々な過程を経て、現在は両親ともに他界。ずっと心が通う事のなかったきょうだいや、母の死後に父が再婚した後妻とも、父亡きあとは色々あってすでにそれぞれ絶縁しているので、今はごく限られた気のいい親戚とだけ繋がっている私。

今もこうして定期的にリヴと関われてるのも、ここでこうして気持ちを書き出せるのも、すでに40代の大人になり自分の意思で人間関係を選べるようになった私が、過去に自分の身に起きた事で何を語ろうと、もう今さら誰も傷つける人はいない・・という踏ん切りがついてきたからだと思います。

はっきり言って現在の環境は、とっても快適です。
自分の人生を振り回す人がいない幸せを、ようやく日々噛みしめて生きられるからです。
でもその実感は、裏を返せば自分が親きょうだいの暴力や感情や都合に長く振り回され、影響を受け続け、常にトラブルが起こる家族間の調整役を引き受ける事で何とか生き延びてきた事を、ムダに思い知る瞬間でもあったりします。なんか複雑です。

今回のように家族トラブルで起きた事件を見ると、私もこうなっていたかもとか、ふと過去に引き戻される瞬間があります。事件の当事者側の立場に気持ちが行く。
「怖い事件やなー」と他人事で終われる感覚の人や、またそういうふうに育ってこれた人を、未だに「マジで羨ましいぜチクショウ!」と思ってます、はい。

私が自分の育ちから思うのは、複雑な環境で育ったからって、引きこもったり犯罪に走るかどうかは外からのフォローの有無や、本人の生まれ持った性質や、家族以外の人と築いた人間関係にもよるんだと思います。
が、きょうだいの不仲に関しては、大部分の原因は親にあるんだろうなと密かに思ってます。

内向的な母を一方的に虐げていた父ですが、母似の(と勝手に判定されてた)姉と、父似の(これまた勝手な判定)私とでは、子供心にもわかるほど私の方が良い扱いをされてしまったため、姉は周囲から好意的に評価される事の少なかったコンプレックスや怒りを、親ではなく妹の私に向けてきました。
大人になっても痛々しいトラブルを起こし続ける姉を、影で疫病神呼ばわりしては私に愚痴る父。
社交性があり友人も多い父でしたが、自分の責任を棚に上げ実の娘を疎ましがってばかりいなければならなかった人生は、果たしてどれだけ幸せだったのか。そして父の後妻と姉はお互い嫌ってて影で悪口ばかり。
こういうのも、家族との貴重な時間と呼ぶのなら、私はあの家族タイムを2度と経験したくはありません。

そしてこのご時世もう1つ気になるのは、コロナ禍でやたら飛び交うようになった家族の絆とか、家族結束とかいう家族至上主義ワード。
当時の私や、今回の事件と重なるような家庭の問題や悩みを抱えた子供は、そんな家族神話フレーズをどんな思いで聞き流すんだろう?
どんな気持ちでやり過ごすのか?
そんな事を思うと、地味に辛くなります。
あんまり家族家族って言わんといてあげて。
確かに家族はいいもの、親きょうだいは有難い存在と素直に思えるんならそれはめちゃくちゃ幸せな事なんだけど、残念ながらそんな人ばかりじゃない。
誰だって自分の親きょうだいは好きでありたいと思う。でもそうならないから苦しむし自分は冷たいのかと、罪悪感も生まれたりする。
あなたがしんどいと感じる関係なら、家族であっても誰であっても離れていいし、頑張って関わろうとしなくたって別にええんやでーって事も、同時にちゃんと教えてあげて。

一体誰が興味あんねん的な個人話をダラダラしてすみません。
時代の流れでコロコロ変わる世間の家族観や風潮に対し、勝手にそんな思いを強くしている今日この頃なのでした。

ではまた。