私が今働いている施設は、今年から誕生日休暇が取れるようになりました。
私の誕生日は7月なのだけど、同じ部署のリーダーが、なんとサプライズで早々と私にバースデープレゼントを!

手紙まで入ってて・・嬉しいなぁ。
1年前、長く働いてた老健施設を辞めて今の老人ホームに変わってきた時は環境の激変に不安やストレスもたくさんあったけど、今は色んな面で本当に職場を変わってきて良かったとしみじみ思う。
もちろん完璧な職場なんてないから悩みがない訳じゃないんだけれど。

私はずっと自分の生まれた家庭環境には複雑な思いがあって、傷つく事があるたびに「なんで私はここに生まれてしまったんだろう?」と本気で思い詰めていました。違う環境で育ってれば、自分という人間の仕上がりがもっと上手くいったはずのような気がして、今でも有名人なんかのほのぼのエピソードにジンと心が動くと、「あーこの人の妹に(もしくは娘に)生まれたかったー!!」とすぐ本気で妄想にふける癖があります。
最近も「世界で1番貧しい大統領」として知られる、あえて質素な生活を続ける南米ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカの生き様に心奪われていて、「この人の孫に生まれたかったー!!」とか思ってたばかり。

でも、生まれついた環境という「選べなかった」人生の土台部分はすり替えたい願望の強い私ですが、逆に自分が選んで得てきた人間関係や友達、仕事、基本的な価値観や趣味など、「選べた」中で得てきたものに関しては、ものすごく恵まれているという実感や愛着を感じており、不思議と過去の思い出も含めて何1つ変えたいとは思いません。

付き合いの長い友人も、介護職の仕事も、仕事を通じて学んだ世界も、出会ってきたかつての仕事仲間、恋人、お気に入りの場所、映画や音楽。
今も繋がってる人も過去の思い出になった人も、当時の自分にはみんな必要で大切な存在だったよなぁ、大好きだったなぁと、肯定しかない。
ちなみにドリフや世界名作劇場などを観て育った自分の昭和ならではの時代背景も好き。当時好んで観てたテレビやマンガの影響があったから外国の文化に憧れ、今もレトロな雑貨や古本や輸入食品のマニアだし、お笑いも好きだし。

もしかしたら、生まれという土台の部分がダメ=自分自身もダメな気がするというのは、ただの思い込みだったのかもしれない。
自分の選択や、そこから作り上げる人間関係で、案外ちゃんと幸せでいられるもんなのかもしれない。

今生きてる世界で自分がちゃんと必要とされてる実感をもらったり、嬉しい事があったりすると、そう思いたくなります。
まだ遠出はできないけど、私もお返しのプレゼントをさっそく探しに出かけました!!喜んで貰えるといいなぁ。

それにしても気持ちの込もった手紙やプレゼントって、贈るのも貰うのも、幸せな気持ちになりますねー。ふふ。