親を自死で亡くした方の語りの会
今日は久しぶりに参加者の多い「親の自死を語る会」だった。
年齢も性別も母を亡くしたか父を亡くしたかも、最近亡くした方から私の42年前とか、時期も見事にバランスの取れた回だった。
初めて参加した方が「今日は父の命日で」と語る。
あ、そーだ、私の父も今日が命日。なんか誕生日が一緒みたいなノリになる。
置いていかれた子どもたちは死に方モデルを見てしまったね。
それも運命だ。知らなかった時起こる前には戻れないもんね。
鹿児島の5月後半は暑かったな。
そうかもうそんな昔なんだね。
最近親を亡くした方は「他にそんな人がいるのか、どう生きているのか」を知りたかったと。
やっとここに来れましたという方も。
亡くなる少し前に父が自分に大きくなったなあと言い、もう大きな自分を抱っこしたというエピソードも。
私も、不渡りが出たとバタバタしていた父が私を見て本当ににっこり笑って「何も心配せんでいーが、修学旅行行っといで」と言った。
まっすぐに私を見た最高の笑顔だった。その夜首を吊ることは決めていたのだろうか。
恨みもあるし、愛しさもある。
かわいそうにと思い助けにならなかった自分を責めた。
それでも私たちは生きてきたねえ。
たくさん笑っている、楽しんで生きている。
死に方モデルを見たけど、それはモデルの一つなんだよ、全てではないんだ。
あの時、と2度と聞けない人に何度も問いかけて答えがないことを知った。
子どもからしたら全てを追いつめられた死だと語れないこともある。
そんな言葉だけで語れない。
ボランティアスタッフの岡が、お笑いが好きで吉本によく行くし、番組も見ると笑う。
せやせや、楽しく暮らしたいよね。
楽しまなくちゃ!ではなくて、本当に楽しいんだよね。
恨みも悔いも怒りも悲しみも懐かしさも愛しさも全部がある。
なぜならその人の子どもだから。
情けなさも含めて懐かしかったりするんだよねー。
父の命日はとくに何をするでもなく過ぎたけど今日は思い出してあげたよ。
それだけできっと喜んでいるよ。
お酒が好きな父と夫はあちらの世界で出会い天国の誕生日を祝っているかもしれない。