学校関係者による語り合いの場
4月19日、『第一回子どものグリーフ 学校関係者による語り合いの場 ~日常を支える~』を開催しました。事務所で行うため受け入れ人数が少ないためHPにも上げず口コミのお誘いでしたがスタッフと参加者で総勢13名で小さな事務所はいっぱいとなりました。
自死遺族や自死そのものにどう関わったらいいのか、死をタブーにしないためにはどうしたらいいのかを語り合えたように思います。
参加者はSSWと養護教諭がほとんどでした。
子どもの日常を支えようとする人たちがこんなに子どもたちのことを思っていることを目の当たりにするとあの日の自分がひょっこり現れてきます。
あの時、きっとこんなふうにどう関わったらいいのかと私を見ていたおとなたちがいたんだろうなと思います。いやいたんですよね。だから不憫に思っている目に耐えられなくて何ともない顔をしていたんだと思います。
それでも、もし家族に自死が起こるより前に話してもいい場所やこういうことがあったら語っていいことを知っていたら、自分に何かあったらそこを頼ってもいいことを知っていたら話をしないまでもそこにいたかもしれません。
話をさせることが目的ではない空間があって、そこではすごいことが起こった自分の家は異常だと思わなくてよくて、ただそんなことがあった事実を受け止めてくれる空気があって、もう他の友達とは違う世界にいてしまっている自分を「そんなことないよ」と「あなたはあなただ」と言ってくれているような場所があったら違っていたかもしれません。
自分のそこからの長い葛藤の時間を無駄だったとは思いませんが、家族を救えなかった自分を責める時間やおとなを恨む時間は短かったでしょう。
社会や誰かを恨みながら生きるのは辛いものです。
10代、20代前半の若者の遺族の語りの会をやってみた挫折が今年度の学校関係者の語りの場を作ることに繋がりました。
若者遺族に「語っていいよ、さあ語りましょう」なんて私たちの自己満足、傲慢ではないかとスタッフで話し合いました。
じゃあ、その周りにいるおとな、日々を過ごす学校関係者と語り合ってみようとの思いからこの会を企画したのです。
走り出したばかりのこの企画、次も参加したいとの声をたくさん頂きました。
遺族である若者スタッフも自然にそこに入っていて、スタッフの素直なその時の気持ちに参加者が耳を傾け臆せずに質問をし、ふむふむと聞き合う姿を見ていると、そういうことなんだよなと思えます。ドキドキせず、普通に語り合うことが出きることが大事なのですよね。
ドラマティックなことが起こった!悲劇!こうやって生きてきました!「えらいねえ」「すごいなあ」ではない語り合いをこれからも出来たら。
そして子どもたちを支えるためには、子どもたちの力を信じ切るためには子どもたちへのサポートとこうやっておとなが知ることとの両輪でなければいけないと実感しました。
ワクワク2回めを楽しみにしている自分がいます。
ご参加くださった皆様ありがとうございました。